15時45分にグアム空港に到着後、一度ホテルにチャックインをして、19:00 Rotaract Club of the Marianas January General
Meetingに出席した。この日は、日本からのゲスト(地区RA委員と地区役員)の他にビジター6名、会員18名の計27名が出席していた。
2012-13年度会長のRussell Ocampoの今年度の半期活動報告をおこない、そのあと地区代表の挨拶、日本のローターアクトクラブの活動報告、ローターアクト委員長の挨拶がおこなわれた。
↓ 例会風景
1982年に設立された「Yigo(ジーゴ)平和慰霊公苑」を訪問し、グアム島戦の歴史について学んだ。
1.グアム島は1521年マゼランが上陸しその後スペイン植民地を経て、1898年アメリカ・スペイン戦争の結果、アメリカに譲渡され、米国領として統治されていた。
2.日本は第一次世界大戦後、国際連盟規約等により、マリアナ諸島を含む南洋諸島を「委任統治領」として領有していたが、グアム島のみ1898年以降アメリカのままであった。
3.日本軍は1941年12月8日、ハワイの真珠湾に引き続きグアム島を爆撃し、2日後に攻略軍を上陸させ占領した。
4.グアム島では、1941年から始まる日本国の軍事領と、その後の2年余にわたる日本軍政があった。
5.1944年7月21日、米軍の反攻上陸開始。日米激闘があり、1944年8月11日には組織的戦闘が終了し、その後の米軍による掃討戦を経て1945年8月15日終戦を迎えた。
6.この間、日本の将兵19,135名と、米将兵1,862人の戦死があり、グアム島民の1,123人の犠牲と、他に身体的被害を受けた島民13,270人の方々が報告されている。
観光スポットとして有名な「Two Lovers Point」を訪問した。
チケット売り場から入るとすぐに「Two Lovers Point」の由来になった二人の男女の石像があったが、2002年の台風によりなくなってしまった。
大きな4枚の石碑には「Two Lovers Point」に登場する男女の物語が石碑に刻まれている。
普段はグアム島のガバナーが仕事をしているという施設を訪問した。この日は、休日のため施設内と「Guam Museum」には入ることができなかったが、展望台まで登ることができた。
グアム島初代ガバナーが「島民に素晴らしい景色を見てほしい」という願いを込めて、この場所にGuam Museumを建設し、展望台を設けた。
ラッテストーンとは古代チャモロ文化の遺跡で、高床式の家屋の土台となった石で、上方の部分が大きいほど権力の強さを表したと言われている。
かつて、グアム島スペイン統治時にスペイン総督邸があった広場を訪問した。また、スペイン公園の隣にある「Dulce Nombre de Maria Cathedral-Basilica(ダルシー・ノンプレ・デ・マリア カテドラル=パシリカ)」という教会も訪問した。
とても短い滞在期間ではあったが、マリアナRACの今年度半期活動と日本でのローターアクト活動をお互いに紹介し合い、活動に関する理解を深めることができた。マリアナRACは、英語圏である強みを活かし、日本のRACよりも国際的な活動を広げていた。また、日本のRAC活動報告では、「東北支援プロジェクト」をメインプロジェクトとして報告し、マリアナRACのメンバーの中には「一度、日本の被災地でボランティアをしてみたい」というメンバーもいた。
2日目のグアム観光・見学ツアーでは、グアムの歴史や文化、日本とグアムの関係性を深く学んだ。
この公式訪問を通して、私たちの所属するローターアクトがいかに国際的な組織であり、さらには第2750地区が日本国内では稀な海外クラブが所属しているということを再認識できた。また、マリアナRACとの関係はとても重要な当地区の強みであり、一緒に活動をおこなうことで地区活動がより発展し得ることを確信することができた。